美の法門


   一
        ロッパチ
「大無量寿経」、六八の大願、第四に曰う、
        タト ワレホトケ
  設我得仏  設い我仏を得んに
            ニンデン
  国中人天  国の中の人天
        ギョウシキフドウ
  形色不同  形色不同にして
        コウジュ
  有好醜者  好醜有らば
        ショウガク
  不取正覚  正覚を取らじ

 この一言があるからには、これによって美の一宗が建てられてよい。意味
                             ミヨ   ミニク
は「若し私が仏になる時、私の国の人達の形や色が同じでなく、好き者と醜

き者とがあるなら、私は仏にはなりませぬ」と云うのである。このことは更

に次のことを意味する。「仏の国に於いては美と醜との二がないのである」

と。

 記されてある如く既にその正覚を取ったというからには、右の事実はもは

や動かすことが出来ぬ。至極の性には相対する質がない。一切のものはその

仏性に於いては、美醜の二も絶えた無垢のものなのである。この本有の性に

於いては、あらゆる対立するものは消えて了う。「生死なき本分」とも云わ

れ、「本来清浄」とも呼ばれる所以である。清浄であるから、何ものにも汚

染されておらぬ。それ故「寂静」とも「無」とも「空」とも呼ばれるのであ

る。「本来無一物」とも説かれた。もとよりこの「無」は無に滞る無ではな

い。有無の二を超えた「無」である。この境に入らずば何ものも真実ではな

い。

 仏の国は無上な国なのである。何処に美醜の二があり得ようか。その無上

なものに支えられているのが、吾々の本性である。この本分には二相がない。

一相即ち無相に居るのが吾々の実相なのである。美醜の二相は仮相に過ぎぬ。

 ここで美の法門は何を説き何を知らせようとするのか。美醜を超えたその

本性に居れば、誰であろうと何ものであろうと、救いの中に在るのだと教え
         チカ
るのである。救いは契われているのであるから、徒らに美と醜との争いに身

を投げるなと云うのである。それも救われるべき資格を持てと求めているの

ではない。不完全な人間に何の完全な資格があり得よう。だが仏がその資格

をととのえて人間を迎えようとするのである。かくて救いが既に備えられて

いるから、それを無益にしては相すまぬと教えているのである。美醜を超え

たその仏性に帰れ、この本然の性を離れて真実の美はない。かく教えるのが

美の宗教である。


   二

 私は再び美醜の二字に戻らねばならぬ。美醜というのは対辞である。美が

あれば醜があり、醜があれば美がある。醜を考えずして美はなく、又美と同

一な醜もない。上下、左右、高低、遠近、善悪、浄穢、凡て同じ対辞の性を

出ることがない。だがどうして美醜の二があるのか。それを二つに分け、そ

うしてその一つを選ぼうとするのか。なぜ醜を捨てて美を取らねばならない

のか。なぜ美が讃えられ醜が呪われるのであろうか。それなのにどうして或

ものだけより美しくなれなくて、多くのものが醜くなるのか。醜くなること

を余儀なくされるのか。不幸にもこの世での「形色は不同」なのである。人

の姿も美醜に分れ、物の形も色も美醜に分れる。分れて了うことをどうする

ことも出来ない。それ故能う限り醜さを棄てて美しさを選ぼうとする。誰も

美しくなろうと様々に苦しむ。だがどうしてこんな重荷が吾々の上に課せら

れてくるのであろうか。

 それは凡て現世での避け難い出来事なのである。仏の国でのことではない

からである。ここは二元の国である。二つの間の矛盾の中に彷徨うのがこの

世の有様である。対辞が用いられるのは、完からざる国での止むない因果で

ある。対辞は反律であるから、断えざる闘争がその間に行われ、絶えざる矛

盾がその中に起こってくる。人間のこの世に於ける一生は苦しみであり悲し

みである。生死の二と自他の別とはその悲痛の最たるものである。だがこの

ままでよいのであろうか。それを超えることは出来ないものであろうか。二

に在って一に達する道はないであろうか。


   三

「出来る」と経文は答えているのである。不思議なことには、その一に達す

ることがこれから出来ると云っているのではなく、もう達していると云って

いるのである。それは久遠の昔に果たされて了ったことなのである。既に早

く仏が正覚を取って了ったというからには、美醜の二を超えることが成就さ

れて了っているのである。尤も「既に」という言葉を使うと、過去を連想す

るが、併し真意は時間を超えた久遠の出来事を指しているのである。それ故

正覚は過去に終わったことではなく、今も活きつつある正覚なのである。吾

吾はこの久遠の働きを知らず、勝手にものを美醜善悪に分けて悩んでいるの

である。これが迷いである。

 それ故実は救われているのに、苦しんでいるのである。苦しむから救われ

るのではなく、救いが果たされている中で悩んでいるに過ぎないことになる。

だから救いのないところに苦しみはあり得ないのである。苦しみのさ中にも

う救いがあるのである。聞かれているので祈るのである。これが不思議なの

である。不思議な摂理なのである。併し不思議というのは吾々の立場からの

嘆きに過ぎまい。仏智としてみれば明々白々のことであるに違いない。

 さて、感嘆すべき仏の第四願、即ち「無有好醜」の願から、私達はこうい

うことを知ることが出来る。この世の凡てのものは、洩れることなく、美醜

の二のない世界に受取られているのであると。既に受取られる誓約のもとで、

凡てのものが生まれて来ているのであると。現世では美醜の争いに苦しむが、

仏の国ではそんな争いがもともとない。是が美しい彼が醜いと判かれるもの

がない。賛嘆すべきことには、仏は審判者ではなかったのである。或ものを

嘉し或ものを罰するのではない。彼は大悲なのである。何ものをも彼の慈悲

で迎え取って了うのである。本来凡てがそう仕組まれているのである。

 只それ等のものが現世の絆に縛られると、忽ちに美と醜との反目の中に置

かれて了う。二元以外に出られないのが、現世に於ける万物の命数である。

此岸にいる限りはどんなものと雖も生滅の二から脱れ得ないのである。かく

して矛盾や反目や闘争が果てしなく続いてくる。何ものも永遠ではない。一

切が限界のうちに沈んで了う。だからこの世は無常である。無常から脱れら

れないのが二元に住むものの宿命である。だが凡てのそれ等の無常なもの有

限なものは、虚假なのである。假初なのである。本来の実相ではないのであ

る。本原のものではあり得ないのである。それは徒らの迷いに過ぎない。こ

れを悟ることが宗教であるとさえ云える。


   四

 考えると美醜というのは人間の造作に過ぎない。分別がこの対辞を作った

のである。分別する限り美と醜とは向い合って了う。そうして美は醜でない

と論理は教える。それはどうしても矛盾する二つものだと云う。だから美が

即ち醜であるとか、醜のない美だけの美とか、醜でもなく美でもないとかい

う言い方は、許されなくなって了う。論理の法則に低触するからである。こ

の世に止まる限り、この法則に間違いはない。だがこの世が世の凡てであろ

うか。一元の世界はないものであろうか。論理さえも力がなくなる境地はな

いものであろうか。

 ここで想い起こされるのは禅家の言葉である。「空手にして鋤頭を把れ」

とか、「隻手の聲を聞け」とか、「無絃の琴を弾ぜよ」などと云う。論理の

判断では到底解決がつかぬ。なぜこういう不思議な問いを出すのか、出さね

ばならないのか。甚大な意味があろう。分別に止まっている間は、これに向

い何の答えをも送ることが出来ぬ。それのみではなく、「達磨未だ西来せざ

る時如何」とか「蓮華未だ水を出でざる時如何」とか尋ねる。美醜が現れて

已後のことを問うのではなくして、その二つ未だ分かれぬ已前の境地を追求

しようとするのである。「好醜あらば正覚を取らじ」と云った言葉がここで

又想い出されるではないか。求めるところは美醜已前の世界なのである。そ

ういう境地があるのみならず、元来は何ものもそれを本性としていることが

説かれているのである。已前とは未生の意である。本性はその未生にある。

盤珪禅師は「不生」の一語で万機に接したというが、「不生」は本来のもの、

生まれるにつれて備わっているもの、その元に居れと教えるのである。不生

の域に達すれば、もとより美と醜とは争いを失って了う。いつも巡礼の編笠

には十字型にこう記す、

   本来無東西   本来東西なし、

   何処有南北   何処にか南北あらん。

   迷故三界城   迷うが故に三界は城、

   悟故十方空   悟るが故に十方は空なり。

 ここではこの東西南北を美醜善悪の言葉に置き換えればよい。


   五

 ではどうしたらよいのか、その東西の別もない本来のままであればよいの

である。あるがままの本然の性に帰ることである。天授の質に活きることで
     シカ                    ジネンホウニ
ある。法が爾らしむる所にいればよいのである。これが「自然法爾」の教え

である。そういう境地を仏徒は「如」と云ったのである。この「如」のみが

不動不変なのである。それで真に美しいものはどういうものかということが

分かる。それは「如」を離れてはない。それは「如」の姿なのだとも云える。

 「如」は又「一」である。「一」は又「不二」とも云う。それ故美にも醜

にも属しないものであるし、又醜を棄てることで選ばれる美でもないのであ

る。謂わば醜に向い合わぬ不二の美、美それ自からとでも云うべきものであ

る。かかる美が美醜の範疇に属していないことは自明である。醜でない美と

いうが如きものは高が知れている。そんなものが真に美しいものである筈は

ない。美しさも亦迷いに過ぎない、それが醜さに対する限りは。拙も亦救い

から離れない、それが巧に向い合わぬ限りは。普通に常識がいう美しさは、

美醜が二つに分れて已後のものである。だが二つに未だ分かれない已前の美

をこそ訪ねねばならない。尤もこの已前とか已後とかここでいうのは、時間

の前後を指してのことではない。已前とは時間の無い世界、過去も未来もな

い世界のことを語っているのである。それ故不生不滅の意味である。

 畢竟真に美しいもの、無上に美しいものは、美とか醜とかいう二元から解

放されたものである。それ故自由の美しさとでも云おうか。自由になること

なくして真の美しさはない。彌陀を無礙光如来と呼ぶが、無礙たることが如

来たることである。醜さを恐れ美しさに囚えられているようなものは、真に

美しくはあり得ない。自由が欠けるからである。否、言葉を強めて云えば、

自由たることのみが美しさなのである。只この美しさは前にも述べた通り、

自律する美しさで、反律としての美しさではない。美醜に分かれることは人

間を不自由にする。自由とは二律からの解放である。印度の詩人カビールが

「未だ打たざる太鼓の音」の美しさを歌い、真の踊は「手なく足なくして舞

われる」など云うのは、この消息を伝えようとするのである。


   六

 例えばここに一枚の絵を想い浮かべるとしよう。巧みに描かなければ美し

くならないというような絵は、充分に美しくない筈である。たかだか拙くな

いというまでに過ぎまい。美しくしなければ美しくならないのは不自由な証

拠である。たとえ拙くとも拙いままに美しくなるような作であってこそよい。

不完全を厭う美しさよりも、不完全をも容れる美しさの方が深い。つまり美

しいとか醜いとかいうことに頓着なく、自由に美しくなる道がある筈なので

ある。美しさとは無礙である時に極まる。美しくしようということに滞るの

は二次である。然るに多くの人は無礙の道を取らないし又省みない。

 嘗て盤珪禅師は人々に教えて「仏に成ろうとするより、仏でいる方が造作

がなくてよい」と云ったというが、美しさの道も、これ以上には説けぬ。美

しく作ろうとするより、美しさと醜さとが未だない所に在ればよい。その時

より深くは美しく作れぬ。本来美醜もない性が備わっているのであるから、

美しく成ろうとあせるより、本来の性に居れば、何ものも醜さに落ちはしな

い筈なのである。それ故拙くとも拙いままに皆美しくなるように仕組まれて

いるのである。それなのに多くの人々は、自分を偉くして、その力量でもの

を左右しようとする。充分に力量のある人なら二元の争いを克服することも

出来ようが、大概の人はその力を持たない。それなのに小さな自我を立てて、

美醜を分けてものを判こうとする。強いて難行を試みるようなものである。

それ故港に着く者が殆どいないのである。多くの者は迷ったまま斃れて了う。

 併し経は説くのである。仏が仏になったということは、凡てのものを美し
        チカ
さで迎えるという契いなのである。救うことが仏たることなのである。仏が

いて救うのではなく、救いが仏である。それ故凡てを仏の力に任せれば、迷

いも敗れもない筈である。そういう道が既に用意せられているのである。そ

れが仏の大悲である。小さな自分を打ち捨てて仏に便れと、凡ての念仏宗は

教えている。他力門の有難さはここにある。誰でも安らかに港に着ける道を

教えているのである。だが多くの人々はこの道を省みないで、あたら二元界

に止まって了う。


   七

 凡ての人間は現世にいる限りは誤謬だらけなのである。完全であることは

出来ないし、又矛盾から逃れることも出来ない。併しそれは本来の面目では

ない筈である。元来は無謬なのである。ここで無謬というのは完全であると

いう意味ではなく、不完全なままに謬りのない世界に受取られることをいう

のである。だから誤謬のままで無謬になるのである。誤謬を取り去って無謬

になるというようなことは人間には出来ない。だが有難くも誰が何をいつど

う作ろうと、本来は凡て美しくなるように出来ているのである。秀でた者は

秀でたままに、劣る者は劣るままに、何を描きどう刻もうと、凡ては美しさ

に受取られるように仕組まれているのである。仏が正覚を取ったということ

は、この真理の確認なのである。「大無量寿経」は仏のこの驚くべき行いを

説くために書かれてある。それ故、人の善悪を選ばず、信不信を待たず、一

切の人間の一切の作は、少しの例外をも許さず、仏の済度を受けているので

ある。只この秘約が通じないために、又これに逆らうために、迷いが人々に

残っているに過ぎない。醜さとは、即ち本然の様から離れた姿を指すのであ

る。宗教ではこれを罪と云う。

 それだから希くは美醜の分別を超えることである。それ等が二に分かれる

已前に自からを戻すことである。与えられたありのままの「本分」に帰るこ

とである。美醜の作為から去ることである。「平常」に居ることである。美

醜の別は病いであるから、本来の「無事」に立ち戻ることである。それには

第一に小さな自我を棄てるがよい。これに執着が残ると、迷いが去らない。

第二には分別に滞らないことである。この判断にのみ便ると、遂には二相の

世界から脱れることが出来ない。

 それ故素直であり無垢でありたい。多くの聖者達が嬰児を讃えるのは、一

理も二理もある。明禅法印の常の仰せに、「赤子念仏がよき也」と。それは

何れも分別の脆さを知らせようとする親切な教えである。決して分別に意味

がないと云うのではなく、分別に終われば二相を出ないと云うのである。だ

から赤子の無心に無量の示唆がある。これは何も赤子そのものに戻れという

のではなく、滞らない無心な自在な境地に入れという意味である。一旦ここ

に入ると、何ものにも誤りが起こらない。誤っても誤りのままで、誤りがな

くなるのである。これを無心の徳とでも云おうか。併し一旦その境地から離

れると、誤りのないものまでが、とかく誤りに落ちるのである。誤っていな

いと言い張ることが、誤りの証拠になって了う。この世で美しいと誇るもの

が、どんなにしばしば醜いであろう。

 それ故美の問題も、美醜のことにその問題を止めてはならない。もう一つ

溯って美醜の未だ分かれない境地から、この世界を見なければいけない。美

か醜かで判じるような物指に、どれだけの力があろう。そんなもので計り得

るものを、ゆめ美しいと呼んではならない。真の美しさとは「畢竟浄」なの

である。仏教ではこの境地を「無」と云うのである。無にまで深まっていな

いものを讃えるべきではない。美醜は有相のことに過ぎない。有難いことに

人間は、元来有相にいるものではない。それ故本分に於いては無垢なのであ

る。穢濁は吾々が造作した罪の跡に過ぎない。臨済は「但造作すること莫れ」

と教えた。美も醜も共に醜に染まる、造作に止まる限りは。だが思い過ごし

てはならない。無造作に執するなら、新たな造作である。楽茶碗の如き、好

個の例と云えよう。強いて美しく作ってあるが故に醜さがどうしても残る。

造作に滞れば醜さが現れないわけがない。


   八

 若し凡ての人々が本来清浄なものであって、美醜未生のものであるとする

なら、人間の差違の如き何の躓きになろうか。常識はこう云う、美の世界は

天才を求めているのだと。又天才のみが大業を果たせるのだと。一理あるよ

うに思われるが、半面の真理を伝えているに過ぎぬ。才不才の如き、実は浅

い根に過ぎまい。賢愚の差は僅かこの世での出来事に止まる。凡てが相対な

この世では、上根下根の別が生じるというまでである。善を尊び悪を憎むと

いうのは、この世での法に過ぎない。二元の巷に彷徨う限りは、その法は守

られねばならない。だから天才が仰がれ善人が尊ばれることに何の不都合が

あろう。だがそれは二元界での道だということを忘れてはならない。一旦次

元を異にした世界に出ると、賢愚善悪の別の如きは多くの意味を持たない。
                          ナ
禅では「不思善不思悪」の深さを説く。又「慎しんで善を作すことなかれ」

とも教える。況んやどこに悪を作す所以があろう。凡て二相に止まらぬ境地

からの声である。

 それ故たとえ善悪美醜の差があっても、差のままにその差が消えてゆく世

界がある。矛盾が矛盾のままで溶け合って了うのである。念仏の行者たちは

かかる国を浄土と云ったのである。これを神の国と呼んでもよい。この国は

平等の国、自由の国、安心の国、平和の国なのである。何処にも争う二がな

いのである。対辞を持たない国なのである。それ故分けようとしても美醜の

別がない。凡ての者、凡ての物が、救われている状態に在るのである。誰が

何を作ろうと、仏の大悲を破るわけにはゆかない。天才もここに引接せられ、

凡夫も亦摂取せられて了う。浄土には位階はない。浄土の座は円輪なのであ

る。上座下座はない。位階を想うのは、この世の立場で眺めるからに過ぎな

い。仏の眼と吾々の眼とは違う。

 だから天才だけが優れた仕事を成し得るのだとするのは、いたく狭い見方

に過ぎない。凡夫だとて凡夫のままに、見事なものが出来る筈である。法然
                   ヒジリ
上人は念仏について云ったではないか、「聖で申されずば、在家にて申すべ

し」云々、又「悪人は悪人ながらに」とも述べた。もとより自からの力で往

生が出来るのではない。凡夫自からに何の誇る力量があろうか。だが救いへ

の道は自力の道のみではない。有難いことに他力の一門があって、凡夫のた

めに用意されてある。これがあるばかりに、この道に便れば、どんな凡夫も

易々と港に着けるのである。しばしば譬えられた通りに、自からの力で舟を

漕ぐからではない。帆に風を孕ませてゆくからである。固く凡夫の往生を説

いた法然上人の「一枚起請文」は、とても有難い文字である。

 力量あって自力門をくぐる者は、絶対自主の道を体得するであろう。只惜

しい哉、終わりを完うする者がいたく少ない。道が険しいからである。これ

に対し他力門を進む者は、絶対他主の境に活きるのである。救いを誓われて

いる道に身を任すのである。それ故下凡の者と雖も、救いから離れることは

ない。易行の道と云われる所以である。


   九

 力ある者は自からで自からを救うであろう。救いおおせるであろう。これ

は仏の大智に則る者である。古来幾許かの僧侶はかかる修業に徹した。だが

力なき者が無数に残る。これをまのあたりに見て仏の大悲は動く。彼の悲願

なくしては衆生の済度は覚束ないのである。それ故仏はどうしても救おうと

誓いを立てたのである。正覚を果たしたその慈悲は、偏えに凡夫のためであっ

たとも云える。だから親鸞上人は進んで「悪人正因」の教えを述べた。大胆

極まる考えである。「善人なおもちて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」と。一

旦は不思議に思われるとも、この言葉はどこまでも信じられてよい。仏の大

悲を想えば、この教えに疑いを差挟む余地は残らぬ。

 才不才に惑うなどは二次的である。才なくとも才なきままに救われる道が

確約されているのである。この世の多くの優れた作品が、一文不知の名もな

き工人達によって作られている事実を、どうすることも出来ぬ。あの大茶人

達が讃えぬいた「井戸茶碗」は何よりの例証ではないか。誰が作ったかも分

からぬ。一人や二人ではない。それも貧乏な陶工に過ぎなかったのである。

各々が天才だったなどと、どうして判じ得よう。平凡極まる工人達だったの

である。それも安ものを作るのである。一々美しさなどを意識してはいられ

ない。寧ろ荒々しく無造作に作ったのである。雅致があるというが、それは

何も画策されたものではない。無造作に必然のなりゆきに任せてある。それ

だから雅致が豊に出るのだとそう云ってよい。謂わば美や醜の煩いがない作

なのである。かかるものにこだわってはいないのである。迷いの病いが現れ

るより前に出来て了うのである。却って安ものであるお陰で、この自由を得

たのだとも云える。力があってこれを作り得たのではない。四囲の境遇や、

受け承ぐ伝統や、私のない仕事や、素朴な暮しや、自然な材料や、簡単な技

法や、それ等のものが寄り合ってこの作を育てたのである。彼等は淡々とし

て当り前なものを作ったに過ぎない。だから救われたのだと云ってよくはな

いか。ここで「平常心」を説く自力門と自から相会うのを感じる。他力の作

である「井戸」が、禅意に適う所以である。つまりは自他両門一如なのを感

じないわけにゆかぬ。

 だがここでもう一つ注意を喚起しよう。どんな後代の天才が、凡人の作っ

た「井戸」以上の茶碗を易々と作り得たか。至難だと見える。再びここに

「歎異鈔」の言葉が想い出されるではないか。天才には秀でた作が出来るの

である。だが凡人には尚もそれが出来るのである。仏の加護の許で。


   十

 或人は尚もこう詰るであろう。凡ての者が救われると契われていたとて、

この世には幾多の凡庸な者があって、世を醜くしつつあるではないか。どう

して彼等が救われないままで残っているのか。仏の誓いなど夢に過ぎなくは

ないか。いつまで私達は凡人に悩まされねばならないのか。いつまでそれを

呪わなければならないのかと。

 答えは簡明なのである。凡庸な人間が小さな自我を言い張るからである。

自からで何事かが出来ると思うからである。だが畢竟は迷いに過ぎない。そ

のため本来清浄な性に濁りが来るのである。醜さとはこの濁りの色である。

併しこのために救いの誓いが弱められたことはない。否、いやまして準備さ

れているのである。愚かな者、罪深い者の救いにこそ、悲願がふり注がれて

いるのである。我が罪を想うのはよいが、それを必ず救おうとする仏の大悲

をつゆ疑ってはならぬ。「唯信抄」に云う、「仏いかばかりの力ましますと

知りてか、罪悪の身なれば救われ難しと思うべき」と。仏の悲願は私達の罪

の多寡には左右されない。かかる恵みの風が贈られているのに、帆を棄てて

自からで漕ごうとする。それ故途中で疲れて了う。醜さは貧しい自己に便る

時に起こる。「捨てよ」と仏者が教えるのはその故である。

 信心深い時代には、人間はもっと素直であり、謙虚であった。容易に自己

を忘れた。これがどんなに彼等を幸にしたか分からぬ。今は疑い深い時代で

ある。それ故才ある者もない者も、自からで判こうとする。これがために美

醜が分かれる。ここで才に乏しい者がいち早く敗れるのは当然である。醜さ

は小さな自力のしるしである。だがなぜ愚かな者だと切に感じないのか。そ

れが感じられないほど愚かなのだと云うべきなのか。美と醜との争いに身を

投げるなら、仕事は容易ではないのである。自から穴を穿って自からを埋め

るにも等しい。

 今後も無数の醜いものが作られるであろう、小さな自我や慾や分別が蔓延

る限りは。併し私達は望みを抱いてよい。仏が正覚を果たしたということを

信じてよい。彼の大きな弘誓を信じ切ってよい。それ故何人も何物も本来美

醜の二を超えた国に迎えられるのである。この誓いがなくしてこの世に何の

希望があろうか。それは啻に救いの可能なことを示唆するだけではない。可

能だと云うなら不可能な場合もあろう。併し可能不可能は私達の言葉であっ

て、仏にはないのである。大悲は一遍上人の言った如く「欠けたることもな

く、余れることもない」のである。どんな者と雖も、その誓いに洩れてはい

ないのである。只吾々の愚かさの故に、この秘義を識らず、徒らにその恵み

を無益にしているに過ぎない。

 それ故信を得た者は、不信な者が不信のままにでも成仏するように介添の

役を果たさねばならぬ。識らなくとも自ずから仏の国に居るように導くこと

である。仮りに仏の国に帰れとでも求めるなら無理であろうが、環境をして

帰る資格のないままに、いつしか故郷の人たるようにして了うことである。

かく考えると伝統というようなことが、下根の者にはどんなに有難いことか。

伝統は一人立ちが出来ない者を助けてくれる。それは大きな安全な船にも等

しい。そのお蔭で小さな人間も大きな海原を乗り切ることが出来る。伝統は

個人の脆さを救ってくれる。実にこの世の多くの美しいものが、美しくなる

力なくして成ったことを想い起こさねばならない。かかる場合、救いは人々

自からの資格に依ったのではない。彼等以上のものが仕事をしているのであ

る。そこに匿れた仏の計らいがあるのである。

 これを想うと、人が美しいものを作るというが、そうではなく仏自からが

美しく作っているのである。否、美しくすることが仏たることなのである。

美しさとは仏が仏に成ることである。それは仏が仏に向かってなす行いであ

る。それ故仏と仏との仕事なのである。念仏は、人が仏を念ずるとか、仏が

人を念ずるとか云うが、真実には仏が仏を念じているのである。一遍上人の

言葉を借りれば、「念仏が念仏する」のである。「名号が名号を聞く」ので

ある。凡て正しきものは、仏の行いの中の出来事に過ぎない。美しきものは、

仏が仏に回向しているその姿なのである。


   十一

 このことを想うと、同じ念仏門の教えでも、余りに信に重きを置くのは、

下々の者には酷ではないか。信も力であるから、力なき者はそれすらも得難

い。もとより信を取り得れば不退転の人とはなろう。信に活き切る法味の深

さは言葉に余る。「信心為本」を説くのは、信仰の者の声なのである。それ

が如何に光に満ち満ちたものであるかを知りぬいているからである。

 だが悲しい哉、その信をすらも取り得ない者が無数に残る。信を取れとい

うのは、それを取り得る力を求めるにも等しい。だがその力のない者にまで

道を用意するのが、念仏門の志ではなかったのか。善と悪とに依らないのと

同じく、又賢と愚とに係わらないのと同じく、真の他力門は、信と不信とに

も便るべきではあるまい。このことを想うと、一遍上人は念仏門最後の教え

を説いた人と云えよう。彼は遂に信心を本と為す立場を超えた。「信不信を

言わず、有罪無罪を論ぜず、南無阿弥陀仏が往生するぞ」と説いた。人が往

生するのではなくて、南無阿弥陀仏自身の往生だと指すところ、意味深遠で

ある。何ず下々の者に信による往生が出来ようか。だが信不信すらも南無阿

弥陀仏の往生を左右する力ではないのである。往生は人間の如何にも障げを

受けない。人間の生まれるに先だち、はや往生が決定されているのである。

もはや美と醜とに煩わされない王土が厳然と在るのである。これをこそ美の

浄土と呼んでよい。ここ以外の又以上の美の故郷はない。

 有難くもその故郷は遠い所にあるのではない。「観無量寿経」には「阿弥

陀仏、去此不遠」と記してある。無上の国と云えば何か遥かな彼岸に在ると

も思われるが、実は彼岸が此岸に在るのである。此岸を離れて彼岸はないの

である。彼岸こそは此岸の本体なのである。此岸は僅か假現に過ぎない。そ

れ故教えは本体に居れと云うのである。此岸に宿れば美と醜とは終わること

なく争って了う。本有の性に在れば、争う何ものもないのである。それ故こ

の境地には罪や醜さが入る余地はない。それが本来の姿なのである。それを

「本分の美」と名づけるのである。本来あるがままのものが美なのである。

本有の性にあることが、美にあることなのである。それが浄土の美である。

 禅は「見性」と云うが、それは本有の性を直ちに見よとの意である。これ

を見ることが「成仏」なのである。美の世界にもこの成仏がなければならな

い。浄土門では極楽往生を説くが、本分にその極楽が在るのであって、何も

特別な個所を指して、しか呼ぶのではない。往生はその本分を離れてはない。

阿弥陀仏はその本分の体なのである。それ故往生は阿弥陀仏に帰入すること

なのである。かくて南無阿弥陀仏が往生するのである。美の往生もこの往生

を離れてはない。


   十二

 聖道門に於いては、「煩悩即菩提」とか、「生死即涅槃」とか教え、これ

等の言葉に究竟の理法を托した。その前後に置く対辞は何なりとも、中に差

挟まれた「即」の一字に凡ての密意がかかる。「即」に成仏があるのである。

「即」を離れては往生はないのである。「即」が往生するのである。浄土門

でいう六字の名号も、偏えに「即」を凡夫に握らせたいためである。名号が

衆生と仏とを不二ならしめ、娑婆を寂光に即せしめるのである。だが「即」

と「同」とをゆめゆめ同じだと受取ってはならない。どうして人と仏とが同

じであり得よう。だが同じであり得ない不幸のままに、人が仏に結ばれる幸

を説くのが「即」の教えである。名号は人の善悪などを選びはしない。悪人

は悪人のままに名号に結ばれるのである。この場合、悪人でよいと云ってい

るのではない。名号のみがよいと云っているのである。悪人などどうしてよ

い筈があろう。だがその悪から離れ得ない人間も、離れ得ないままに名号を

称え名号を聞き、かくて名号に即すると、往生は決定し不退転の座を占める。

だから人に往生があるのではなく、名号に往生があるのである。それ故名号

あっての人間である。

 かく考えると美も亦「即」の法界にあることが分かる。それは個人の如何

に左右されない。才なき者も愚かな者も、悉くその法界のさ中に活きている

のである。それ故この法性に在らば何人も美に居る人以外ではない。拙な者

も拙なままで美に結縁されているのである。洩れなく誰にもそう仕組まれて

いるのである。これが「無有好醜」の悲願である。

 かかる美の法界を説き、この法界への往生を説くことが美の法門である。


                   越中礪波郷城端別院にて


   後 記

 まもなく私の齢は、暦を一円して、元に還るに至った。これをしおに私の

かねがねの美論にも一つの整理を与えたい希いである。考えるとこれは今ま

での思想の結論とも云えるが、寧ろこれを新たな発足として前に進みたいの

が私の心願である。

 仏教の歴史を顧みると、一宗の建立にその客観的基礎を求める時、多くは

経典の文辞に依った。猥りに自からの考えを立てるのではなく、自からを救っ

た聖句の上に、生涯の思想を賭けた。天台宗並びに日蓮宗に於ける法華経、

華厳宗に於ける華厳経、念仏宗に於ける浄土三部経、真言宗に於ける大日経

など、何れの宗門も所依の典拠を掲げる。無所依を標榜する禅宗すらも、好

んで維摩、楞伽、金剛、円覚などの諸経を重んじるのである。詮ずるに一宗

の基礎を経典に求めるのは、信の法をそこに見るからである。教えに犯すこ

との出来ない威光が出るのもそのためである。宗祖の大は、経句の読み方の

深さにあるとも云える。宗教が経典を求めるのは必定である。

 民芸の美論が一宗を形作らんとするには、等しく無上な典拠があって然る

べきではないか。民衆の宗教として立った念仏の一道は、その信仰や教学の

凡てを、阿弥陀如来の大願に基づけ、わけてもその第十八願、即ち「念仏往

生の願」に托していることは、誰も知る通りである。今年の夏、偶々「大無

量寿経」を繙いて、その悲願の正文を読み返しつつあった時、第四願に至っ

てはたと想い当たるところがあった。何か釈然として結氷の解けゆく想いが

心に流れた。この一願の上にこそ、美の法門が建てられてよい。そう忽然と

自覚されるに至ったのである。私は思わずも「無有好醜の願」と呼びなされ

るその聖句によって、思想を展開させた。常には遅筆な私が僅か一日にして

一文を書き終えたことは稀有な経験であった。もとより短文であって僅かに

要旨を綴ったものに過ぎなくはあるが、長い間紆余曲折を経た私の思考も、

ここに漸く一段階に達した想いがある。さきにも述べた通り、これを新しい

発足として美の法門を宣揚したい希いなのである。内に込めた思想は本文が

語る通りであるが、要するに民芸美論の基礎を仏の大悲に求めようと志すの

である。

 幾許かの読者には、余りにも唐突な奇異な構想と取られるかも知れぬ。又

仏教に疎遠な想いを抱く人々には、すぐには肯われ難い見方かも知れぬ。併

しかかる場合には仏語をそれに近似する他の好む言葉に置き換えて貰えばよ

い。例えば「仏が正覚を取る」というような言葉を、「神が神自からになる」

という表現に改めて下さってよい。「不生」というような禅的語彙が、親し

みを欠くなら、「アブラハムが生まれし前に吾あり」と云ったイエスの言葉

を想起して下さればよい。「如」の一語に躓くなら、これを分かり易く「そ

のままのすがた」と解して下さってもよい。とかく「無」という字を縁遠く

古くさく感じる人があるが、「無限」とか「無上」とかいう言葉を誰も会話

に上せるではないか。

 私が敢えて東洋的な仏語を多く用いたのは単純な三つの理由に依る。私自

身が東洋人であることがその一つ。その二つは東洋の思想が仏教に於いて最

も深く熟しているからによる。その三つは他力的な見方は仏教の念仏門で最

もよく代表されているからによる。それ故仏教の表現を用いることが私にとっ

ては一番必然であった。同時に同じ他力道である限り基督教が、私の述べる

思想に無縁なものだとは考えられぬ。この一文を読む方は、徒らに宗派に滞っ

てその文意を受取ることがないように切望する。

 嘗て一途に宗教的真理を迫っていた私が、中途にして美の問題に触れ、特

に工芸を対象とし、更に民芸館の設立に心を注いだ時、幾人かの人々から、

何故宗教の世界を去って、形而下の問題を対象に、日夜を送るのかと云って

詰られたことがある。この問いは一再ならず私に加えられた。早く再び宗教

の問題に戻ってはどうかという忠告である。(近頃私を知った人々は、逆に

嘗て私は宗教に心を寄せたことに奇異な想いを抱くのである。)併し私とし

て見れば、一つの頂きを異なる面から見つめていたのであって、「実は同じ

仕事をしているのである」と答えるより致し方なかったのである。信論と美

論とを結ぶということは、何も奇怪なことではない。寧ろその濃い結縁に就

いて、世人は識るところが遅過ぎるのである。信を語る聖句は同時に美の密

意を囁く言葉だと云ってよい。考えると誰も経典の言葉以上に鋭く又深く美

の本質を語ることは出来ない。出来る筈がないのである。美も亦「無上なる

もの」の姿以外のものではないからである。少なくともそこを離れて、真実

の美はあり得ないからである。

 美は哲学上「価値」と呼ばれるものの一つであるが、価値である限りは、

内に無上性を持つものであって、単に醜に対する美に止まるが如きものでは

ない。若し止まるなら相対値に過ぎぬではないか。それが絶対値に触れる限

りは、永遠なるものと結ばれていなければならない。この永遠なるものをこ

そ「聖なる世界」と呼んでいいのである。それ故美も亦宗教の本質に交わる

ことなくしてはあり得ない。美の法則と信の法則と異なるいわれがない。

 私がこのような思考を組み立てるに至ったのも、美の国を建設したい志願

による。かかる王土の具現には、衆生の済度が約束されていなければならな

い。どんな人がどんな物を作るとも、本来はそのまま美しさの世界に摂取さ

れるように仕組まれていなければならない。とりわけ名もない工人達が数多

く作る民芸品が、必然に救われるその原理がつきとめられねばならない。若

し救いの契いがないなら、どうして美の国が可能となろう。然るに、その可

能を鼓舞する実例が山ほどもある。誰が何を作ろうと皆美しくなって了うこ

とがあるのである。それも各々の者が優れた芸術家になり得て、かかる結果

を生むというのではない。凡てがありのままの状態で救われるというのであ

る。この事実なくして何の希望があろうか。この世にはどんなに多く下凡の

性から離れ得ぬ者がいるであろう。だが有難くも、それが誰であろうとその

ままで素晴らしい仕事が果たせるのである。果たせる道があるのである。果

たせないのが嘘なのである。醜いものは只の迷いに過ぎない。この真理の見

届けなくして、何の光明があろうか。この一篇はその信の表明なのである。

 民芸文化がどこまでも精神文化たり得る所以は、それが宗教に根ざす限り

に於いてである。この根底なくしてどこに正しい民芸論が成り立つであろう。

 因に、本篇は、去る十一月四日、京都相国寺で開かれた第二回日本民芸協

会全国大会のみぎり、知友に聞いて貰った講演の稿本である。上梓するに際

して協会同人の厚誼を受けることが甚だ大きい。特に印刷に就いては河合勝

夫氏の並ならぬ配慮に浴したことを厚く感謝したい。


          昭和廿三年臘月[十二月]

                       著  者


                   (打ち込み人 K.TANT)

 【発行:昭和24年3月21日】
 (出典:私版本・柳宗悦集 第1巻『美の法門』春秋社 初版1973年)

(EOF)
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